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住所変遷記

date2025-03-18
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updated'2026-08-18'

今ぼくは新井薬師駅の近くに住んでいます。だから西武新宿線のZINEを作っているわけですが、住み始めてまだ半年も経っていません。まだ理解が浅い自覚がある上で、新参だからこそ西武新宿線が気になるのです。

引っ越しの多い生涯を送って来ました。それは親の仕事の都合ではなく、色々な都合で引っ越しをしています。せっかくの機会なのでこれまでの引っ越しを履歴書のように羅列してみようと思います。誰かの役に立つことはないと思いますが、どういう人間が西武新宿線に感動しているかは伝わるかもしれません。

0:実家

三重県の伊勢市というところで生まれる。ここは今でも家族が住んでいるので詳しくは書けないが、伊勢神宮の外宮からなんとか歩けるくらいのところだった。

敷地が宮川という大きな川沿いにあった。堤防が千本桜仕様だったので春になると庭がピンク色になる。しかし台風が来るたびに避難が必要な立地でもあり、ある時堤防のアップデートで百本桜ぐらいに数が減ってしまった。庭が染まっても薄ピンク程度となった。

建物は吹き抜けのある二階建てで、床暖房の空気を送るφ400程度の紙管と子供部屋に設けられたロフトのような物置のことを気に入っていた。今は家族の頭数が減った分、猫が補填されていて立体的に楽しんでいるよう。

1:泉マンション506

兵庫県神戸市篠原中町6丁目1-19 2013.4-2015.3

初めての一人暮らしは神戸だった。母親と2人で部屋探しに来て、途中から生駒から叔母が駆けつけてくれた憶えがある。

確か10畳+4畳程度の1Kで、初めてにしては贅沢な部屋だった。

隣の人が黙って飼っていた猫が記憶に残っている。僕の部屋にもよく遊びに来てくれた。猫とだけ遊びたかったが当然その飼い主の人とも社交せねばならず勝手に困っていた記憶がある。

この頃に原付を購入した。神戸は坂が多く自転車は乗れたものではないので原付ユーザーとそれを取り締まる警察が特に多かった。最近神戸に行くことがあったがLuupが流行っていてその馬力に驚いた。

2-1:双葉荘201

京都府京都市左京区一乗寺北大丸町5-6 2015.4-2015.9

森見登美彦を読んでから京都に移ったので、やはり木造の寮のような部屋に憧れていた。叡山電車一乗寺駅すぐ近くの木造畳張で家賃25000円という破格さ。あまりにこの頃の憧れそのままで、今でも高揚した気分になってくる。

ここで夜遅くまで、友人となにかを話し合っていたのは良い時間だったと思う。

ところが入って半年で建物が取り壊されることになった。その頃大阪で地震があり、耐震性について見直されていたのでその影響の一つだったと思う。ここで初めて住んでいた家がなくなる経験をした。

2-2:洛北苑302

京都府京都市左京区一乗寺南大丸町19 2015.10-

余儀のない引越しだったので場所はまた一乗寺。今度はRC造で少し人間的な暮らしとなった。ただ少し苦し紛れな間取りで、ベランダを通らないと風呂に入れないという不思議な仕様だった。

リサイクルショップでカリモクの応接室セットというソファ6脚とテーブル一台を安くで購入して運び入れた。6畳程度だったので部屋は応接間でいっぱいになってしまい、ソファで寝ることになってしまったがとても気に入っていた。

一時期長く家を空けることがあり、帰ってきたらベランダに鳩が巣を作っていた。風呂への動線に鳩がいるので大変困ったが、どうやら卵を温めていて無碍に追い払うこともできなかった。最終的には無事卵が孵り謎の感動を与えられ、子育ても終わったのか巣に戻らなくなった。

風呂上がりのベランダが想像以上に厳しく、越冬できず引っ越しを決めることとなった。

2-3:ビオルネ7北山

京都府京都市左京区下鴨水口町20-1 -2017.3

一乗寺から北山という場所に移った。一乗寺が茶色なら北山は白色のイメージがある。ミドロガイケという池から異常な音量のカエルの鳴き声が聞こえる場所だった。

記録を遡ると家の前に停めた原付に雪が積もっている写真が見つかった。北山に白いイメージがあるのはこの写真をたびたび見るからかもしれない。

契約を満了し更新せずに退去することになった。

2-4:北園ハイツ202

京都府京都市左京区下鴨北園町50-2 2017.4-2018.11

よく通っていた居酒屋の2階に住むこととなった。北山駅が最寄りなのは変わらないが琵琶湖疏水の辺りまで南下し、下鴨と呼ばれる場所に移った。この頃下鴨神社にはよく通っており、毎年の下鴨古本市は人生最大のイベントになっていた記憶がある。

大学の廃棄物置き場で拾ったW2500×D1200程度の机を運び入れて部屋がいっぱいになってしまったことがあった。勝手にやったので同居人に怒られてしまい、一度大学に戻して天板の耳を切った。縦横10cm程度小さくなっただけだったが許してもらうことができた。

ものが増えすぎたこともあり、この部屋をぼくだけ出て別で家を借りることになった。ただ上記の机は置いていったような憶えがある。

2-5:洛北葵荘

京都府京都市左京区下鴨梁田町14 2018.11-2019.3

ここも後に取り壊されることになるが、今回は入居時からそれを知っていた。半年後京都から離れる予定があり、その時期が退去予定日と近く好都合だった。この頃には森見スタイルの憧れはある程度卒業していたが、結果的にかなりそれらしい部屋だった。

この頃あるイベントでコロッケの出店を出すことになり、夜な夜な研究していた記憶がある。 半年と期間が短かったこともあり、それ以外大きな記憶がなく、コロッケを大量に揚げるために借りたような部屋だった。

退去と解体がほぼ同時期で、追われるように出ていった。 この後新潟に移り住むため、ここが京都生活の中締めとなった。

3:小峯亭

新潟県見附市杉澤町3974番地 2019.4-2021.9

新潟では空き家登録されていた一軒家を友人と3人で借りた。6部屋ほどで家賃35,000円。地方の強さを感じた。

同居人の中に小峯という人間がおり、謎の求心力を持っていた。その名前とここでコミュニティを形成したいという気持ちからこの家を当時小峯亭と呼んでいた。

地方のパワーは家賃だけに留まらず、近くの小川に鮭が遡上してくる / 用意したSoftbank Airには一切電波が入らない / 地理的に湿潤で1週間洗濯物が乾かない / 壁に貼ったポストイットはナメクジに食べられる / 敷地内から生えるタケノコの連打に対応が必要などといった沢山の魅力に溢れていた。

そして冬は雪が降ったが、これにはあまり辛い記憶はない。隣人との雪かき責任境界が思いやりによって動いたり、雪の壁で囲まれてバレーボールをすると思いきり動けて良かったり、雪MAPの新鮮さを感じられて良かった。

冬の深夜に一度障子越しの満月の光で起きたことがあった。満月だと明るいという当たり前のことをそこで初めて実感し、平安時代のような趣を強く感じたことを憶えている。

この後新潟を離れることになり、この小峯亭からも離脱することになった。

4:フォレスト北山 301

京都府京都市北区上賀茂岩ヶ垣内町90 2021.9-2022.3

ここで再び京都に戻った。今度は植物園の向かいの部屋で、大きめの出窓があるのが良かった。

戻ってきて印象的だったことは、かつて住んでいたときにずっと建設が止められていた橋が開通していたことだった。その橋は当時の移動ルートの重要な場所に位置しており、もし開通すれば劇的に生活が変わるはずだったがついに間に合わなかった。その橋の完成を見て、よく知る京都が少し減ってしまったような感覚になった。

元々京都に戻るのは短期間の予定で、結果半年ほどで東京に移住する。

5-1:コーポアンドウ 103

東京都目黒区目黒本町2丁目4−4 2022.4-2022.9

東京での住所は東急東横線の学芸大学駅が最寄りだった。ただ田舎者特有のJRへの厚い信頼からか少し遠い目黒駅をよく利用していた。散歩が本格的な趣味になったのはこの辺りである。

駅から続く目黒通りの長い坂を登っていって、NTTの赤い電波塔を目指すのがいつものパターンだった。

道には照明の沢山ついた家具屋や雑貨屋が沢山あり、飲み屋のような俗っぽいものは少なく、治安も非常に良さそうだった。ただなぜかこの辺りの雰囲気があまり肌に合わなかった。

ペットを連れて歩く人々と自分のギャップを勝手に感じ、逃げ出すように中野方面に引っ越した。

5-2:メゾンドタクト 506

東京都中野区中野4丁目17-1 2022.9-2024.10

芸人のラジオなどでよく出てくる中野は住んでみるとイメージと違ってかなり綺麗だった。セントラルパークの近くだったこともあるかもしれない。少し肩透かしを食らった気分だった。

この頃に友人と休日にバドミントンをすることになり、それが上井草駅の体育館だった。そこで初めて西武新宿線を知り、その後都立家政駅で最高な喫茶店を見つけ、西武新宿線にハマっていった。

その後中野駅周辺の再開発によりマンションが解体されることになり、退去の際にお詫びで130万もらい、家賃の収支がなぜかプラマイゼロとなって新井薬師に引っ越した。

5-3:現住所

2024.10-

本当は都立家政駅に住みたかった。不思議な響きの駅名に惹かれた。ただあまりピッタリくるところが見つからずなんやかんやで新井薬師駅の部屋を選んだ。

住んでみるとこの部屋が定期的に揺れる。なんとなく下から突き上げられているような気がするので、線路の地中化工事との関係を邪推してしまう。地下で発破をかけているのではと妄想するが、どうせ色んなところの工事が原因だろうなとも思う。この辺りを処女作の「地中化」という漫画で描いてみたので、温かい気持ちで読んでみてもらえると有り難い。

憧れの西武新宿線に住んでみた感想は、なんだかいいなというところである。具体的なお気に入りポイントを書き出してみたりもしたがなんとも納得がいかない。この辺りはやはりこのZINE全体から感じ取ってもらうしかない。ただ明確に変化が一つあって、家に帰る時間が引っ越してから平均2時間くらい早くなった。体が西武新宿線を求めているのである。もちろん環境によるものもあるかもしれないが。今まであんまり経験のないことなので、西武新宿線の魅力を客観的に感じられて嬉しい。

ちなみに記録として、幸いこの部屋の取り壊しの話はまだ聞いておらず次の引越しは未定である。

住所変遷記2025年最新版は今のところ以上です。市井の人間がいつどこに住んでいたかにどんな価値があるかは不明ですが、自分としては他の人のこういった記録も気になります。一つではしょうもない情報ですが100個集まったら何か不思議な価値が湧いてくるような予感がします。

今、西武新宿線は変化の渦中にいます。かつての街並みを惜しむ人も不便の解消を望む人もいるかと思います。なんなら両方の気持ちを持っている人が沢山いるのではないでしょうか。

一方ぼくは工事が始まる前の新井薬師駅を知りません。自分にとっての京都が木造畳敷の部屋だったのと同様に、新井薬師は仮囲いが乱立しているところです。工事の完了には立ち会えない予感もしています。過渡期であるはずの現状にこの土地らしさを覚えてしまうことが面白く、この感情を残しておくために漫画を描きました。西武新宿線の踏切が絶滅する時代があったとして、その絶滅過程を伝える資料の一つになるなんてことがあればとても素敵なことだと思います。

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